映画『男はつらいよ』のシリーズをアマゾンのプライム・ビデオで全てみた。約3カ月で。

今回は、そんな僕が決める「ベスト3」を発表したい。


総評的なものは後回しにして、とりあえずランキングである。


1位 『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』 17作

夕焼け

満男の新入学祝いに帰ってきた寅さんは、飲み屋で財布を持たない老人に奢り、とらやへ連れて帰った。とらやを宿屋と勘違いした老人は反省し、絵を描き寅さんに渡した。その絵が七万円で売れて仰天、この老人は日本画壇の重鎮・青観だった。そして播州・龍野市で青観と再会した寅さんは、青観の歓迎会の宴席で芸者・ぼたんを見染めた。その後、ぼたんが柴又を訪ねたが、何を隠そう悪い男にだまし取られた二百万円の取り立てのためだった。見兼ねた寅さんは青観を訪ね、ぼたんのために絵を描いてくれと頼むのだった。
ネタバレになるのであまり細かいことは書かないが、一言で表すならば、「号泣」である。

寅さんの代名詞である「人情」が全面に出された、シリーズ最高の感動作だ。

「情けは人のためならず」、そんな言葉を思い出す。


2位 『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』 32作

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備中高梁は博の実家のある城下町である。寅さんは博の亡父の三回忌を思い出し墓参りに立ち寄った。そこで寺の和尚と娘・朋子に出会う。勧められるままに上 り込み酒の座は盛り上り和尚と寅さんは意気投合する。翌日は二日酔い和尚に代わって法事に行く事になる。名調子の弁舌がすっかり檀家の人達に気に入られ寅 さんは寺に居着くことになった。やがて三回忌の法要でさくら一家がやって来る。和尚と共に木魚を叩く寅さんの姿にびっくり仰天。さくらはそばにいる美しい 朋子の姿を見て兄の恋路の行方に胸を痛める。
 1位の「夕焼け小焼け」とは一転、「喜劇」の至高作品だ。

『男はつらいよ』の美学は徹底した「ベタ」にあると僕は思っている。

そのベタを突き詰めるとこうなるという見本のような映画である。


3位 『男はつらいよ 寅次郎物語』 39作

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柴又とらやに一人の少年が現れる。「父ちゃんが死んだら寅さんの所に行け」と言われたという。あっけにとられた一同だが少年の世話をはじめた所に寅さんが帰って来る。母親が和歌山にいるという情報で少年を連れて寅さんは母親捜しに西下する。和歌の浦から吉野へ。吉野の宿で少年は高熱を発する。看病に大慌ての寅さん。しかしそれが縁で隣室にいた美女・隆子と知り合う。病に苦しむ少年を間に夫婦、親子の気分で一時を過す三人。やがて賢島で療養する母親を捜し当てたが少年は寅さんと別れたくないという。
珍しい「寅さんと子ども」の二人旅のような一作。

僕の心を打った寅さんのセリフがある。

別れを悲しむ子どもに対して、

「ヒデ、いいか。よぉく聞くんだぞ。おじさんはな、お前のあのロクデナシの仲間なんだ。いい歳をして、おっかさんの世話も見ねぇ。子どもの面倒も見ねぇ。そんなお粗末な男にお前なりてぇか? なりたくねぇだろ、ヒデ。だったらな、このおじちゃんのことなんかとっとと忘れて、あの母ちゃんと2人で幸せになるんだ。わかったな」

ここに寅さんの人間性全てが現れている。



ランキングは以上で、ここからは総評といきたい。

まずは『男をつらいよ』をつくった山田洋次監督をはじめ山田組のスタッフのみなさんと、寅さんを演じ続けた故・渥美清さん、さくら役の倍賞千恵子さん、博役の前田吟さん、団子屋とらや(くるまや)のおいちゃん役のお三方・故・森川信さん、故・松村達雄さん、故・下篠正巳さん、つね役の故・三崎千恵子さん、満男役の中村はやとさん、吉岡秀隆さん、タコ社長役の故・太宰久雄さん、御前様役の故・笠智衆さん、源公役の佐藤蛾次郎さん、他全ての出演者の方々に

素晴らしい映画をありがとうございます、と大きな声で御礼を言いたい。


『男はつらいよ』は言わずと知れた、日本の映画史に燦然と輝く48作の一大シリーズだ。

僕が初めに見たのは小学生(たぶん3年生ぐらい)のときに両親に連れられて映画館に行ったときだった。その頃は『釣りバカ日誌』と二本立てでやっていたと記憶している。

僕が小3とすると、今から28年ほど前なので41~42作あたりだと思う。正直に言えば、『男はつらいよ』の記憶はほとんどなく、『釣りバカ日誌』の「合体」というテロップがやたらと頭に焼き付いていた。当時は何のことだか、全くわからなかったが。


『男はつらいよ』で唯一記憶に残っているのは、吉岡秀隆さん演じる甥の満男と寅さんが凧の揚がる江戸川の河原で話をしているようなシーン。

既に満男が少年から青年になっていて、寅さんに「老い」が見られている頃だ。

このシリーズの過渡期は、そんな寅さんの「老い」が顕著になった42作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』である。

42作から主役は寅さんから満男へと変わり、ハッキリと言えば、『男はつらいよ』は別の映画になった。42作の公開が1989年で、渥美さんが亡くなる7年前。ウィキペディアによると、青年期に結核により片肺を失い、1991年に肝臓ガンが見つかったというから、まさに満身創痍の状態で、ボロボロになりながら演じ続けた、まさに「男はつらいよ」を地でいった寅さんであった。


僕は42作、または41作でシリーズ打ち止めで良かったと思う。

何かのインタビューで山田監督が「もう1作だけ、もう1作だけと思い続けて・・・」と語っていたが、42作以降の寅さんは全盛期の勢いはないことは誰の目から見ても明らかなのだ。これが見ていて、なかなか辛い。

人にも春・夏・秋・冬と、時間経過とともに四季があるとすれば、42作以降は明らかに「冬」の寅さんだ。


初期の寅さんは春の「青さ」がある。

渡世人を全面に押し出し、さくらのことも平気でビンタする。シリーズ中盤以降では考えられない行為だ。

代名詞である啖呵売の勢いも凄い。「四谷赤坂麹町 ちゃらちゃら流れる御茶ノ水~」、スラスラと出てくる。でも、見方を変えれば、キャストが着実に歳をとっていき(ときには亡くなり、変わり)、四季の移ろいを見せるところが、また『男はつらいよ』シリーズの魅力とも言えるのかもしれない。


42作以降もつくられたことで、良かったと思うこともある。

それは吉岡秀隆さんの存在だ。『男はつらいよ』の主役という重い看板を寅さんの代わりに背負い、吉岡さんは渥美清さんと濃い時間を過ごしたのだと思う。

それを証明するのがこの映像だ。2006年 第29回 日本アカデミー授賞式である。



初めて主演男優賞を受賞した当時36才の吉岡秀隆さんは、次のように語った。

ちなみに、『男はつらいよ』のラスト48作が公開されてから10年後のことである。

「もう芝居なんか嫌だなぁとか、今日は撮影現場に行きたくないなぁっていう風に思うとき、必ず僕の胸に笑顔で現れてくれる、天国にいる渥美清さんに、本当に御礼を言いたいです」

渥美さんの役者DNAを受け継いで、10年後にアカデミー主演男優賞を受賞する。これは42作以降の渥美清さんと吉岡秀隆さんの『2人の男はつらいよ』があったからだと、僕は思っている。


僕は『男はつらいよ』を少しずつ見て、好きになるにつれて、さまざまな関連書籍や映像に目を通した。

『男はつらいよ』は山田洋次監督と渥美清さんが2人で話し合って生まれた作品だと聞く。

当時、松竹の社員監督だった山田さんと、代表作が欲しく、得意な啖呵売を全面に出す役をやりたいと考えていた渥美さん。一晩中、2人で話をしたそうだが、どんな話をしたのだろうか。

ちなみに、渥美さんのプロ顔負けの啖呵売は、子どもの頃にアメ横などで見て覚えたという説と、戦後間もない上野・浅草で本当にテキヤをやっていたという説がある。

どちらにせよ、本名の田所康雄時代には何も良いことがないと語ったほど不遇の子ども時代を送った渥美さんにとって、啖呵売が役者として成り上がるための武器になったことは間違いない。「徹子の部屋」にも倍賞千恵子さんと出演して啖呵売を披露しているシーンは貴重だ。




まだまだ、書籍で読んで知った、渥美さんが浅草ロック座の喜劇スターだった時代の話や若き日の倍賞千恵子さんが吉岡秀隆さんと本物の親子を演じるために一緒に裸でお風呂に入った話などもツラツラと書きたいが、どんどん脈略がなくなってしまいそうなので、ここで一旦終了とする。

ともかく、『男はつらいよ』は素晴らしい映画であり、後世に語り継がれるべき古典作品である。


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